【日記】天才とはどのような人間か

yuiga-k.hatenablog.com

この記事に触発されて、自分が天才について思っていたこと・考えたことを書きます。

予防線として、この記事に書く内容は完全に自分が勝手に考えただけのもので何ら裏付けはありません。

天才の能力

自分は天才とは以下の2点を満たす人間だと思っています。

  1. その場では思考・説明より先に結論にがある
  2. 結論やその導出過程を見ても天才そのものを説明できない
1.その場では思考・説明より先に結論にがある

天才にとって結論は状況に対してしばしば反射的に導かれるものだと思います。それは決して裏付けの無いものではなく、意識・無意識問わず「その場では既に考え終わっていて後は引き出すだけ」の状況ができているからこそ反射的に導くことができます。

天才の結論と過程を再現することはできるかもしれませんが、完全な模倣はできないでしょう。天才は1分1秒の間に感性によって得たものを積み重ねているためにある日気づくことができ、既に気づいているからこそ反射的に引き出すことができる。これを真似するためにはまず感性を模倣し、そこから得られるものを積み重ねていく必要があります。

また、そのような感性と行動に共感することも難しいはずです。パッと見ただけでは何も見えない所からいきなり結論が出てきてしかも正しいというのでは、共感以前に「なんで?」という恐怖・畏れが先に来るのではないでしょうか。

勿論、天才であってもその場では結論を出せないような場面は多く存在するでしょうが、その場面への取り組み方としてもやはり天才はその積み重ねた結論の量から圧倒的な能力を発揮します。

2.結論やその導出過程を見ても天才そのものを説明できない

自分は天才の思考や行動に対する分析の結論は、微分方程式の一般解、特殊解、特異解のような関係で説明できると考えています。

つまり、天才の具体的な行動(≒特殊解)から、その目的や思考に用いる道具(≒一般解)を求めたり予想したりすることはできるが、それらをどのようにこねくり回しても天才そのもの(≒特異解)を求めることはできないということです。

 例えば天才の行動からある一つの原則を導いたとしても、「それをどのような場合に用いるべきで、用いるべきではない場面はどこか」という判断をすることはできないでしょう。このように、個別の特殊解や一般解、それら全てに共通している原則としての特異解は説明できていません。

確かに天才の行動には一定の裏付けが有り、順を追って説明することは不可能ではありませんが、その行動から天才の全てを説明することは不可能なのです。

天才の人間性

このようにある分野・ある場面に対して天才は超人的な能力を発揮しますが、天才も人間であり、人間性というものが確かに有ると自分は思います。

天才はなぜ凡人に期待するのか

天才が凡人に期待するのは、天才が自身の行動を凡人でも再現し模倣できると考えるからではないでしょうか。これは、天才自身が自分の行動・思考に裏付けを持ち、それに説明をつけることができるため生まれる感情だと自分は思います。

実際には先程挙げた微分方程式の例のように、個々の行動・思考に説明をつけることができるからといって天才を模倣できる訳ではなく、歴史を鑑みてもその期待はほぼ勘違いだと言い切ることができます。

しかし理性とは別に天才は、「理解できないと言われて説明を加えたのに何故理解してもらえないんだ」という感情を抱えているように見えます。この不満は天才にとって矛盾無く説明できる説明が存在しているにも関わらず、それを理解して貰えないことで発生する不合理を見せつけられる状態を解決してほしいという不満の表れでもあるのではないでしょうか。

逆にそこをある程度理解でき、実践できるからこそ、天才は秀才に対して興味を持たないのではないかとも感じます。

天才は何故排斥されるのか

これは分からないものは排斥するという「有機的な冷たさ」によるものでしょう。よく差別やいじめを引き起こしたり、無理解から的を外した言葉をかけるようなアレです。

人は物理的・心理的・能力的、どのような軸であれ距離が開くほどそれを理解できないことから排斥したがるか、排斥するまでは行かなくとも積極的にお近づきになろうとは思わない生き物です。天才も天才で、同じ軸で会話できない人間と話しても楽しさは少なく、気味が悪いと扱われることも多いため、理解できない人間を遠ざけるのが自然です。

また天才の少なさもこの傾向に拍車を掛けます。環境としてどのように天才と付き合うのが良いかを学習する機会が少ない以上、天才を排除しないように行動する人間もまた少なくなるでしょう。

天才とはどのような人間か

纏めると、自分は天才を特定分野に超人的な能力を発揮する一方で基本的には普通の人間と変わらないと考えています。目に見える部分が幾ら超人的であっても、誰かに認められた方が嬉しい、嫌なことが起きていたり続いたりしているのが嫌いという点は変わらないのでしょう。

書くだけ書いて投げっぱなしになりますが、自分の天才観でした。